犬の体罰を考える

体罰とは・・・。

下記リンクは、体罰とは?苦痛とは?なぜ体罰を用いいるべきではないのかを非常にわかりやすくまとめてありますので、ぜひご一読いただければと思います。

「体罰に反対する声明」(応用行動分析学会より)

相手が人間であろうと、動物であろうと、何かを教えるという理由で暴力(叩く、蹴るなど)をする時とはどういう時でなのでしょうか。

言葉で言って聞かせてもわからないから?何度教えても覚えないから?・・・というところでしょうか。

その場の空気に緊張感を持たせるため、というのもあるかもしれません。犬のトレーニングで、ピシッとしたバフォーマンスを見せるためには、厳しさも必要だという話も聞いたことがあります。(が、それって必要なのでしょうか。疑問ですが)

私が中学生の頃、体罰は主流で、先生が竹刀やバットを持って校内を歩いていました。忘れ物をしたりするとケツバット(お尻を竹刀やバットで思いっきり叩かれる)という罰がありました。ビンタとか当たり前にありましたし、高校では、運動部の子が並ばされ、端からビンタされ、鼓膜が破れたなどの噂もありました。

そういう時代に育ってきている方も多く、それによって、「あの時、先生に叩かれて良かった」と感じている人もいるかもしれません。愛情のあるビンタだった(?)と考えている方も多いのでしょう。それゆえに、今でも、叩くことも必要だと考える人がたくさんいることと思います。そう言った言葉を聞く時、それらは結果論だな、と私は思うのです。

体罰を効果的に使うのは、非常に難しいことです。弱すぎても、強すぎてもいけません。体罰を与えるタイミングも非常に大切です。相手の行動を変えるために、体罰を使用するには、観察力と冷静さが必要で、失敗すれば、大変リスクの大きな方法です。(こちらに詳しくあります)

それを、多くの人が「愛情」という名の下に、感情に任せて実施しているように私は思います。

そうしたことが結果的に良く働いたというのであれば、偶然の産物であり、一か八かの暴力となるのではないかと私は思います。(冷静に見極めてからの暴力も怖いと思いますが。)

親が子供を殴れば「教育・しつけ」で、男性が女性を殴れば「DV」で、子供が子供を殴れば「いじめ」です。相手が抵抗すれば「喧嘩」というのかもしれません。どれもしていることは同じ「暴力」です。

犬のトレーニングでは、体罰が多用されています。なぜ、体罰を使わなければならないのでしょうか。それは、他に良い方法を知らないからだと思います。

小さな子供がお友達を叩いてしまうことが良くあります。それは、自分の考えをどう表現したらいのかわからないから。自分が相手の行動を変えるために、どう行動すれば良いのか、レパートリーが少ないからだと思います。だから、一番原始的な行動が現れるのではないでしょうか。

犬に教える時に、すぐに嫌悪を用いようとするのは、他に良い方法を知らないのだと私は思います。

そして、犬に嫌悪を与えることで、一時的にでも犬の行動が変わることがあるので、トレーナーもその方法が良いものだと思うようになります。それが続くことで、トレーナー自身が体罰を行なっているという意識がなくなり、「犬のために」とか、「困っている飼い主を助けるために」などと、体罰を正当化するようになるのではないかなと思います。

「愛情」というのは、暖かく幸せなイメージの言葉ですが、相手を想うあまりに殺害してしまう事件もあります。子供の虐待も元は愛情から発せらている行動のこともあります。自分が相手に体罰をしているかどうかを立ち止まって考えてみる必要があるのかもしれません。

叩く、蹴るの他に、物を投げつける、大きな音で脅すなども同様です。

教えるのに体罰は必要ないと考えます。もし、叩いたり、蹴ったり、物を投げたり、脅したりする方法をせざるを得ないのなら、教え方が未熟だということ。

相手が犬の場合、自分が犬に体罰を用いていることを認識していないことがあります。それは、昔から行われていた方法だからかもしれません。

けれど、ここは冷静に、自分がしていることが体罰にあたいすることなのかどうか、今一度考えて見てはいかがでしょうか。他人のしていることはよく見えますが、自分のしていることはわからないものです。

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