問題を抱えた犬に対する正の強化トレーニング 実施例

食べ物など報酬を使うトレーニングは、芸を教えるもの、甘やかしたトレーニングと思われがちですが、実はそうではありません。きちんと行うことで、様々な問題にも対応することができます。実際に、問題を抱えた子のトレーニングを正の強化をメインに使うトレーニング(食べ物やその他の報酬を使うトレーニング)を実施していますので、ご紹介致します。

経緯

ライアン君は、体重約20キロのミックスの男の子です。咬む、吠える、他犬に過剰に興奮するなどの問題を抱えています。飼い主様ご家族も咬まれており、過去に23針縫う大怪我をされたことがあるのとのことでした。トレーナーである友人を通じてご連絡をいただいたのですが、すでに私が6人目のトレーナーとのことでした。それまで出会ったトレーナーとは強制訓練を行なっていました。チョークチェーンやスパイクを使ったり、それでも良くならなくて、電気ショックカラーを勧められたりということもあったそうです。飼い主様はとても一生懸命で、トレーナーの指導の通り長い間本当に頑張っておられました。だけど、途中でおかしいと気づいたそうです。そこで、SNS等で相談しているうちに正の強化をメインに使うトレーニングに出会い、実際に私と一緒にトレーニングをすることになりました。

トレーニングの開始

私と出会う頃には、トレーナーである友人の的確なアドバイスも功を奏し、ライアン君は思っていたより穏やかな顔つきでした。実際のトレーニングでは、まずハーネスに変え、クリッカーをお渡しし、トリーツをたくさん用意していただきました。

そして、飼い主様には、ライアン君の望ましい行動を見つけトリーツを提供し、強化する練習をたくさんしていただきました。とっても食いしん坊なライアン君は食べ物を見るだけで大興奮でしたが、それも落ち着いて食べられるようにも練習をしていただきました。

その他、ライアン君の生活環境を見直し、犬としての欲求を満たし、お散歩の質の改善や好きな場所で寝られるなど、選択肢を増やせるようにしていきました。また、ハウスなど、日常に役立てられるようなこともクリッカーとトリーツを使って練習していただきました。

変化

トレーニング開始から、4ヶ月が過ぎましたが、ライアン君の表情が優しく穏やかになって来たなと思います。私とのトレーニングの日も落ち着いており、お部屋では自ら伏せてくつろぐ姿も多く見られるようになってきました。口輪装着も今後の安全対策のため練習してもらっていますが、今では口輪を見せると自分から鼻を入れて来るほどです!

猫ちゃんとの同居に関する課題もあるのですが、これに関しては、飼い主様の素晴らしいアイデアと工夫によって、猫ちゃんとライアン君が同じ空間でくつろげる時間が、少しずつですが、持てるようになってきたそうです。

匂い嗅ぎを楽しみながらお散歩に行き、ママの方へきて欲しい時には、こっち~などと声をかけると嬉しそうに来るんですよ~とのこと。ベッド類へのマウンティングもなくなったとのこと、ハウスにも自分から入って休んでいたり、全体的に穏やかになったような印象です。

今後の課題と目標

ですが、問題がなくなったわけではありません。まだ、何かの拍子に咬むこともあります。他犬を見ての興奮もあります。それらは、今後日常的にケアをしていく必要があります。犬も人も過去の記憶は消せません。咬んだ記憶、咬まれた記憶、様々なネガティブな記憶は、お互いが恐怖、不安を感じ、溝が生まれます。ふとした時に、過去の記憶が蘇り、咬む咬まれることが誘発されることがあります。それを埋めて行く作業はとても大変なことです。

トレーナーの指導内容を守ることに集中するあまり、愛犬の様子を観察することなくトレーニングを実施することは望ましくありません。飼い主様ご自身が犬のサインが読めるよう、参考動画を利用しながら、犬のシグナルを読み、その時すべき対応ができるように、頑張っていただいています。飼い主様の懸命さには頭が下がる思いです。

何をされても咬まない犬にすることが目標ではありません。獣医療を受けられるようになること、また、安全に散歩や日常生活が送れるように、ライアン君が生涯に渡り、心身ともに健やかに過ごせるように、必要な場面で必要なことができるようになり、飼い主様と穏やかな日々を送れるようになることが目標です。

飼い主様の感想

飼い主様に、これまでの経緯やご自身のお気持ちなどをお聞きしました。とても濃い内容で、こちらには書ききれないのですが、中には、強制訓練を実施していた際、トレーナーによるトレーニングを見ていられないほど辛かったとあります(チアノーゼ、悲鳴、脱糞など・・・)。高いお金を払って、ライアン君を肉体的にも精神的にも苦しめてしまったとの後悔の言葉もありました。

チョークで頭周りをガチガチにとめて引くことで、他犬への反応はなくなったように感じたこともあったそうですが、散歩は楽しいものではなく、もう2度とその訓練はしたくないと思うほど辛いものだったとのこと。

では、今のトレーニングでは何か変わったのかをお聞きしました。まずは、飼い主様ご自身のお気持ちが大きく変わったようです。気長に向き合うことができるようになり、トレーニングを焦ることなく、目の前のライアン君の様子を見てどんな対応をするかをご自分で考えられるようになったとのこと。また、ライアン君自身もできることが増え、飼い主様は正の強化を使うトレーニングを広めたいともおっしゃってくださっています。(ライアン君の変化については上記参照)

犬と人のためにどうすべきか。

正の強化をメインに使うトレーニングは、犬にとって嬉しい事(物)を与えながら、犬の行動を人に受け入れられやすいものへと変えていくものです。それは、芸を教えることだけに使うものではなく、様々なシチュエーションで対応することができます。また、飼い主様にとってもそのトレーニングをすることが良い経験になるようにお伝えすることが重要だと思います。

ライアン君は、私を含め6人のトレーナーと関わりました。一人目の時は、吠える問題のみで咬むことはなかったそうです。その後、それぞれのトレーナーがそれぞれの持論を元に、お聞きする限りでは、かなり力ずくのトレーニングを施しました。咬む行動をエスカレートをさせたのはそのようなトレーニングが一因ではないかと私は推測しています。飼い主様の行動に対し、ライアン君が恐怖や不安を感じるようになってしまったのではないかと思います。

他にも陽性強化のトレーナーを含め、様々なアドバイスを受けたそうですが、改善への道は開かれませんでした。

そういう中で私はライアン君との暮らしの中で起こる問題を解決することはできるのか、というと正直なところわかりません。殺処分するわけにもいかず、もちろん、彼への愛情もたっぷりあって、どうすれば良いのか翻弄する人を放っておけないというのが正直なところです。ですが、今後の道筋は見えています。そして、報酬ベースのトレーニングの道を歩み始めたところで迷わないように、飼い主様の手を離さないようにしたいと思っています。

もちろん、丸腰で向き合っているわけではありません。応用行動分析学(ABA)をベースに、これまでの経験も踏まえ、ライアン君と飼い主様が折り合いをつけて暮らしていくにはどうすれば良いかを考え、実施しています。飼い主様は本当に一生懸命やってくださっており、トレーニングに協力していただけていることが、私とのこの一連のトレーニングを可能にしていることを忘れてはなりません。

問題が大きくなるほど、嫌悪刺激(チョークチェーン、電気ショックカラー、プロングなど)を使うトレーニングを検討しがちですが、実は、正の強化をメインに使うトレーニングも対応可能です。また、副作用を考えると、嫌悪刺激を使うべきでないことをお伝えしたくて、今回のブログを飼い主様のご協力のもと書くことにいたしました。同じように悩んでおられる方の参考にしていただけたら幸いです。

嫌悪刺激を的確に使うことで犬の行動を変えることはできます。ですが、そのプロセスは本当に犬と飼い主のためにするべきことでしょうか。また、嫌悪刺激を多用することによって、犬の恐怖心、攻撃心、問題行動の増大、身体的ダメージを受けることなどの報告が上がっています。犬の行動が変えられるからと言って、副作用の大きな方法を用いるべきではありません。犬と飼い主様のために、どのような道筋を示して行くべきか、私たちトレーナーはよく考えなければならないと思います。